私は毎日鼻にほじるしてます。^^‼︎ 好きな言葉は"根本治療"

人生

人生とは思い通りにいかないものだ、と最近つくづく思う。

なぜならば運の要素や自分ではどうにもできない要素がたくさんあるのに加えて、自分のことでさえもままならないからだ。

 

簡単ではないから苦しく、簡単ではないから愛おしいのだろう。

生きることは、汚くて、美しい。

私に文句がある人間へ

最近思いついたライフハックがある。

「私が国を持っていると言ったらどうする?」

 

まず思いついた経緯を説明したい。

前提として、職場で上司が部下に説教イベントが発生した際には、仕事をしながら聞き耳を立てて

・どのように怒っているのか

・何に怒っているのか

を聞き取り、どちらに落ち度があるかを感じ取っている。理不尽な怒りでないかも含めて分析する。

うちの職場の場合は怒られている部下は大抵仕事できないやつという社内の共通認識がある人たちであるし、正直なところ私も仕事ができないなと思っている。

 

そんな"仕事ができないやつ"がお説教シーン以外で軽口のようないじりを受けていることがある。

「お前は(仕事ができないんだから)〇〇で十分だ」というようなテイストのいじりだ。

本心ではなく冗談で場を和ませようとしているということは言っている上司の顔や喋り方からはわかる。

だが冗談とは言え、このようなことは絶対に言われたくないのが私だ。仕事ができないことと関係のないことで軽い人格侵害のようなことを言われると想像するだけで私のエベレストのようなプライドは噴火してしまう。

 

そこで私は「もしこういうことが私の身に起こったら私はどのように対処するか」を考えていた。

そして思いついたのが今回発表するライフハックである。

 

これは自分より下には偉そうにするのに上にはペコペコしたりごまをすったりするような人に有効だ。

「私が国を持っていると言ったらどうする?」

これを言うだけで、言われてるだけじゃないぞと威嚇することができる。怒りながらではなく、淡々と世間話のように「どうしますか?^^」と言えればベストだろう。

心の中だけで言うだけでも構わないだろう。私が国を持っていると言ったらどのように態度が変わるかと想像するだけでも面白い。

「私をどこの大企業の令嬢だと思ってる?」から派生して、一国の主という世界的に偉い人となった。

 

若いと言われるほどしか生きたことない私はいつも、"ちょっと歳をとっただけで偉そうにするな"と思っている。

百歩譲って会社の中などそのお偉くなったコミュニティ内では偉そうにしてもらっても構わないが、偉くない環境で偉そうにするのは少し違っている。

ブルーアイズホワイトドラゴンなのかもしれないが、ポケモンカードならば勝てないしスマブラなら参加すらできない。

しかし、価値が全くないというわけでもないことはわかっている。ただ必要以上に自分を偉いと思いすぎているということが言いたい。

偉そうにするにしても品のある、重鎮のようでいて欲しい。

「俺は偉いんだ!」「俺は偉いんだからこんな扱いは受けるべきではない!」と口うるさくわめき、どこに座るにもふんぞり返ってしまい真っ直ぐ座る筋肉を失ってるのかと心配になるほどの人はどんなに偉くても尊敬に値しない。

何を発明してどんな賞を取りどれくらい利益を生み出していようが、驕り高ぶらないといけないような精神力の人間ははっきり言って小物である。

若いだけで舐めてかかってくる人間!さあ!私に文句を言ってみろ!

誰に勝つよりも価値があるのは自分に勝つこと

"アイツに勝ちたいからやる"はクソ

SNSやインターネットで目の前にいても直接言えないのに有名人や著名人、企業にケチをつけることで己の冴えない生活の憂さ晴らしをしている人間は本物のクソ

ケチをつけることで勝った気になっているだろうがお前は人として負けている

打開するのを諦めその生活に甘んじてるくせに関係ない人に迷惑をかけてるところがお前のダメなところだ。一歩踏み出す勇気がないなら人に迷惑をかけるな。幸せなやつが憎い?お前は幸せになる努力してるのか?幸せなやつはみんな努力してるよ。

何か悩んでることはわかってる。良いところを見つけて褒めるから何があったのかその日の生活を毎日連絡して来い。

他人にいちいちケチつけなくても幸せを感じられる生活にしてやる。お前は幸せになれないんじゃない。幸せになる方法を知らない、もしくは知ろうともしないというだけだ。

君と会うために痩せるよ

家の近くには業務スーパーがあり、いつもお菓子を買うために入ります。

駅からの帰り道、なんだかお菓子が食べたい気分です。しかし数日前にダイエットの気合いを入れ直したところなのです。ここでお菓子を食べてしまっては、カロリー計算とPFCバランスを無視した雰囲気ダイエットに戻ってしまいます。自制心の弱い私のことですから間違いありません。始めて数日の忍耐が肝心なのです。

 

そこで、自分を試そうと入店しました。

自分を試すためにコンビニやスーパーに入店したことはこれまでに何度もありますが、ここまできっちりとダイエットしてるのは久しぶりです。

いつものようになんとなく野菜やフルーツ、米を見てからチルドを眺めます。チルドコーナーにある紫蘇にんにくが美味しいので買うかどうか悩みました。

一つ目のお菓子コーナーを見ながら、自分が今食べたい気分のお菓子が何かを突き止めます。イカの姿フライが気になりましたがタンパク質よりも糖質・脂質の方が多いことを知り、すぐに戻しました。しっくりくる物がここにはありません。

冷凍ブロッコリーを探しつつ、美味しそうな冷凍食品たちを眺めます。惣菜の冷凍食品もスイーツの冷凍食品も見て、それからアイスも見ました。大好きなマカロンと見つめ合い、キャラメルアイスとも見つめ合いました。ここにもしっくりくる物はありません。

二つ目のお菓子コーナーに辿り着きました。ココナッツチップがヘルシーで美味しいので、もしあれば食べたかったのですが品切れでした。二つ目のお菓子コーナーにも自分が今食べたいお菓子はないように思えました。何もしっくりこないのです。

一つ目のお菓子コーナーに戻ってもう一度考えていると、ふと、いつもはスルーしている物が目に入りました。紙パックのザバスです。驚きました。まさにこれが私の気分だと思ったのです。味はココア、バナナ、バニラ。どれにしようか悩みます。

しかし、栄養素を見るとタンパク質の2/3の量で糖質が入っています。糖質制限をしていますから、熟考の末、棚に戻しました。もう口の中はココアのプロテインを求めていました。

これで店内を一周しました。レジに行きます。

結局私がどうしたのかと言うと、一度も買ったことのない輪切り蓮根の水煮だけを買って帰ったのです。

お菓子を買いに入ったのに、サラダの傘増し用に蓮根を買ったのです。こんなにお腹がギュルギュル鳴いているのにお菓子を買わずに帰れたのです。

勝ったと思いました、自分の欲望に。

とても嬉しく、誇らしくなりました。

 

ハードなダイエットはしばらく続けられそうです。

ほぼ常にある空腹感も懐かしく、嬉しいのです。

君と会うために頑張って痩せるよ。どうか待っていて。

君について、またその夜について

 

情緒的な文章が書けるうちに性的なことも感情的なことも明け透けに残しておこうと思います。1ヶ月もすれば好意も興味も失せて、只々恥ずかしい文であることは間違いありません。全ては私の学びのために。

伝える気はないにせよ伝えたいことでもありますから、敢えて手紙のように認めておきます。断っておきますが、これは恋文ではありません。あの日あったこと、その時分の感情と三日経った今の視点を含めて書くものであり、その多くはきっと文句でしょう。


先ず、あの夜について話すとしましょう。私にとってあの夜は良い夜ではありませんでした。

体感にして三十分以上、私は君と体の関係を持つことを拒否していました。付き合っていないから、心理的な快楽が得られないから、率直な理由を伝えましたし、飲食店にいる間にも付き合っていない人とは関係を持たないと伝えていました。


「嫌だ」と何度も拒否する私を他所に「本当にダメなの?」「俺のこと好きじゃないの?」「キスだけだから」と食い下がる必死な姿に、男性は如何してこうなのだろうと呆れてしまいました。男性と一括りにするのは良くありませんが、その時はそう思いました。性行為をすべくあれこれ言い訳や理由作りをする男性たちのその必死さが嫌いなのです。嫌なものは嫌だというのに自分が行為に及びたいからと幸せな勘違いをして口説いてくる姿が情けなくて嫌いなのです。こんなに嫌そうなのに伝わらないのかと心底呆れます。


君とキスしたくないわけではなかったし、セックスがしたくないわけでもありませんでしたが、それは関係性やタイミングが重要なのであって、少なくともあの日ではなかったのです。君との交際関係を妄想して自分を慰めたことは何度もあります。若し君が私と真剣に向き合う気が合ったのならば、つまり交際していたのならばそれはしたかったのです。反対に交際していない君とはしたくなかったのです。虚しくなることを知っていたからです。


仮にもまだ私の好きな人であった君と同じベッドに転がっている状態で、君に触れるのを我慢できなかったのは否定できません。肌に触れることなく朝を迎えていれば又違ったのでしょうが、人肌の効用は知っていますからそれが少し冷めていたとは言えども好きな人であれば尚のこと快かったのです。君が後ろから抱いてくれた時は安心し、落ち着き、良い気分で舟を漕いでいました。


君の悪魔のような囁きに「キスならしてもいいか」と過りましたが、私はこと性においては理性の人間であります。己に負けてはいけないと思い直しました。私は「キスしたら興奮するでしょう」と反論しましたが君は否定しました。しつこくて面倒であるし、半分寝ている状態で攻防していましたから君の「キスだけ、キスしたら寝る」という表面的な言葉を信じて、それで寝れるならもう良いやと唇を許しました。結局我慢するつもりもない君は襲いかかってきました。

 

少し話を遡ります。そろそろ白黒つけよう、付き合う気がないのなら最後のデートにしようという決意は一週間以上も前からありました。決意と言っても君に好意がある以上、脆いものではありましょうが。

君が遊び人ではないかと出会って間もない頃からわかっていながらもそれを正面から受け止めるのが怖かったのです。恋愛観について殆ど聞かなかったのは、自分のことを聞かれたくない思いが強かったのですが、君のその性質を明らかにしたくなかったことも関係していると今は思います。

私が特別だと思いたかったのです。君が私を好いてくれているというのはわかっていたし、それなりに大切にしてくれていたこともわかっています。共に時間を過ごすことが心地良かったために、何度も会い、多くを語り、恋情のような友情のような定義し難い関係を続けてしまいました。

 

あの日の昼間、カラオケの受付で煙草を吸うと告げた君を睨みつけました。煙草を吸いに行った時、帰ってきた時、物凄く不快になりました。初めてのデートで「私と会う時は吸わない」と言ってくれたのに、以後守ってくれていたからそれを忘れたわけではないだろうに、私の嫌がることをしたことに腹が立ちました。勿論煙草の匂いは元来嫌いで、密室故に濃く匂い不快さを感じましたが、それ以上に私の嫌がることをしたことに非道く苛立ち、君の匂いについて必要以上に強く責めました。

そのような君の日中の態度から何かを察した私は手を繋ぐのもあまり気が乗りませんでした。寒空の下、手袋をはめて、君の手を握り返しませんでした。

そんな時間を経ての夜です。

 

何れにしても君は私と付き合う気がないことを知りましたから会うのは最後であるし、君のことはそれなりに好きだし、もういいかと諦めて腹を括ったつもりでした。しかしそれは過ちでした。君のことは好きでも心理的快楽は殆ど得られませんでした。

生理的快楽で言えばそれなりにありましたし、演技をしたわけではなかったと思います。それでも、気持ち良さよりも居心地の悪さと息苦しさを感じていました。仮にも好きな人とのセックスであるのにこんなに満たされないのかと愕然としました。


キスをして直ぐ、ぐいと舌を捩じ込んできた時、気持ち悪いと思いました。気持ちの良いキスというのは柔らかいのです。互いの唇の柔らかさを堪能した後に舌を優しく絡めると最上です。覚悟して切り替えた気持ちは強引な侵入に依って一瞬で萎んでしまいました。

少し力の強い性急な愛撫にも嫌になりました。耐えられるほどの痛みと嫌悪感がありました。もっと優しく触れてほしいと思いましたが、初めての夜──尤も最初で最後の夜ではありますが──に男性にあれこれ要望をつけるのはプライドを傷つけるのではないかと思い、言えませんでした。今思えば、どうせもう二度と寝ることはないのですから、プライドを傷つけようと淫乱だと思われようと構わず自分の気持ち良さを追求すれば良かったのです。

胸を攻めた後、すぐに陰部に手が伸びたことにも嫌気がさしました。耳が弱いことは伝わっていたのに攻めてもらえない。耳を舐ってくれたならもっと乱れたのに。それどころか、優しく触れられれば全身どこでも感じてしまいます。攻められる場所が唇、胸、陰部しかないなんて興醒めであるし、そのようなセックスしか知らない君をつまらないと思いました。

口淫では早く達してしまう自覚がありますが、あの夜はなかなか逝けませんでした。気持ち良さも足りませんでしたし、何より気が散っていました。「何をしているんだろう」と早くも反省会は始まっていて、君の愛撫の技術にも腹が立っていました。

挿入している時には虚しさに加えて苦しさに襲われていました。君の物は強い圧迫感があり律動と同時に自然と声が漏れました。お腹を殴られているような自然と出てしまう生理的な声でありました。気持ち良くないわけではありませんでしたが、君の律動は微妙でしたから我を忘れるほどではなく冷静な自分が常に在りました。何をやっているんだろう、早く終わってほしい、と思いながらも声は出てしまって、そんな自分を不思議に思っていました。


最中に君が何度か「かわいい」と言ってくれました。その言葉は以前ならば嬉しかったのに何とも思いませんでした。どうでもいい人から貰っている数多の「かわいい」と同じ価値しかありませんでした。「本当に顔がかわいいと思ってる」と改まって言われた時には「あっそ」と口の中で返事をしていました。口から出ずとも顔には出ていた自覚があります。暗かったので見えていなかったでしょうが、例え明るかったとしても同じでしょう。前日までは嬉しかったかもしれないその言葉が本当に心からどうでも良かったのです。


愛撫においても挿入においても、下手くそだと言って頬を叩くほど下手くそではありませんが、確かに君はセックスが下手であると思います。少なくとも上手くありません。心得がないのです。不特定多数と寝る男、所謂ヤリチンは下手くそだと再確認させられました。一夜限りのセックスならせめて上手い男と寝たいものです。心理的快楽は満たされずとも生理的快楽を享受したい。

 

否定ばかりしてしまいましたから良かったことも話しましょう。全てが悪かったわけではないのです。

君の物を納めた瞬間は心が満たされました。

私の口の中で気持ち良さそうに脈打っていたのが喜ばしかった。

挿入している間、沢山キスをしてくれたことが嬉しかった。

事後に服を着せてくれたことが嬉しかった。

 

そして、私の中で達しなかったことが惨めな気持ちになり、許せなかった。

 

率直に、オナニーに付き合わされたと思いました。

 

レイプされたのだとは思っていませんでしたが、ある本を読んでいたら思い当たる節が多々ありレイプだったのだとわかりました。納得、同意をした覚えはないのだから。勿論手酷いレイプだとは思ってはいませんが、確かに私は拒否していたし深く傷ついたのです。

体を重ねなければ君の気が収まらないと思ったし、拒否権なんてあるようでなかったのではないかと思いました。これは今認めていて気が付きましたが、私の深層心理にも多くの女性と同じように、"男性には逆らえない、逆らったらどうなるかわからない"という恐れがあるのです。男性の強い動機である射精を目的として始まってしまった行為を止める勇気がないのです。ただ耐えて終わるのを待った方が安全だと、そう考えていたのです。


あの夜はどのように眠りについたのか覚えがありません。寝苦しくて目を覚ますと君の腕枕で寝ていました。やけに不愉快で腕を雑に掴んで退けたことを覚えています。

浅い眠りを繰り返し何度も起きては時計を見たことも覚えています。

ぐーぐーと寝息を立てている君を置いて帰ろうかと微睡の中で三度は考えました。黙って君の前から消えてしまいたいと思いました。若し君が起きてしまい引き留められたら面倒だと断念しました。


帰り、駅までの道中に君は「普段なら我慢しているけどラーメン食べたい、こんな時は」と言いました。きっと私を手に入れたつもりでさぞ機嫌が良いのだろうと推察しました。故に、すかさず入れた「どんな時だよ」というツッコミは語気が強かったことを覚えています。機嫌の良さそうな君とは対照的に私は自責の念に駆られひどく落ち込み早く一人になりたがっていました。

やり過ごそうと普段通りを演じていたつもりではありますがきっと上手くできていなかったでしょう。隣を歩く君の顔を見られませんでした。

別れ際には何の言葉も出てきませんでした。出そうとすることもしませんでした。誰との別れ際でも三言以上発する私が、です。どうしても君に何か言う気にはなれなかったのです。ただ手を上げて一秒後に背を向けました、これが最後だと思いながら。

昼間の太陽がやけに眩しくて目に刺さりました。強い後悔と反省を持っていました。どんより落ち込むというよりもなんだかエネルギーのある落ち込み方をしていました。自分への怒りがあったのでしょう。君への怒りも少しはあったにせよ二、三割と言ったところで、とにかく自分の行いについて反省していました。かと言って君への気持ちが失せないかと問われればそんな訳もなく、それどころか君と体を重ねる数時間前から気持ちは下降の一方です。


この文を読み、楽しそうにしていたじゃないかときっとそう思うでしょう。楽しい時もあれば嫌な気分になっていた時もあったのです。楽しそうに見えるよう演技をしていたわけでもないのですから、楽しそうに見えていた瞬間はきっと楽しんでいたのです。次の瞬間嫌な気分になったり、かと思えばまた楽しくなったりしていただけのことです。

 

君は私一人に決められるほど私のことが好きではないと知りました。知ってすぐはショックで泣きたくなりました。結局三日経っても涙が流れることはありませんでした。それになんだか君は私のことを好きでいるだろうという根拠のない自信があるのです。打ちのめされてもなお、なぜかそう思うのです。一時的に私への恋心が冷めたとしても、いつか思い出して惜しいことをしたと思うに違いないと確信しています。これは強がりではありません。ただ、自信があるのです。それに、君が私との関係を後悔している頃には私は君のことが好きではありませんから君とどうにかなりたいと願っているわけでもありません。

切り替えの早い私のことですから、一月もすれば君は私にとって、"なぜ好きだったかわからないけど過去に好きだった人"というどうでもいい存在になるでしょう。

君以外にも他に好きな人がいたこと、君よりも良い人がいると思えていたことは不幸中の幸いでしょう。敢えてこう言っておきたいのは私のちっぽけなプライドです。

 

君との出会いで学べたことがたくさんありました。感謝しています。あらゆることを学びに変えていく自分のことを改めて誇らしく思いました。

君と過ごす時間は本当に楽しかったです。嫌だったことを沢山書いてしまいましたが、悪いことばかりではありませんでしたよ。もしそうであったならば何度も会ったりはしませんから。友情のみでも良いと考えていた程です。最初からそうと決めていれば違ったのかもしれませんね。

 

君には送るつもりもないのにこんな文を認めてしまうほどには君のことがまだ好きなのでしょう。

 

返信が遅い人間は損をしている

これまで私は返信が遅い人間として生きてきた。

頭の中で返信を考えて返信した気になってしまい返し忘れてしまうこともあれば、単純に面倒だとか気が向かないだとかそんな理由も多くあった。

だいたい1週間以内に返信すればいいやと思っており、気が向いた時を逃すと1ヶ月を超えてまた気が向いた時に返すこととなる。気が全く向かない内容の場合そのまま返信をせずに連絡を断った人もいる。

しかし、2022年に入ったあたりから連絡を見たらすぐ返信をするよう心がけるようになった。

すると、今まで考えていたよりもずっと、返信が遅いと損をしていることに気が付いた。

返信が遅い人間と返信が早い人間、両者の気持ちのわかる私が表題について経験を踏まえて説明したい。独自の視点であり医学的な根拠はない。

正直この記事を書いた後で上げるかどうか一年以上悩んだほど私にとっては大きなテーマである。

 

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損をしている理由の目次

  1. 信頼を失っている
  2. 仕事ができない
  3. 許されているわけではない
  4. 期待されていない
  5. 人が離れていく
  6. 低い評価を受けている
  7. 自己評価も低い

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理由1.信頼を失っている

端的に言えばこれだ。せっかちな人はもうここで読むのをやめてもらっても構わない。返信が遅いことで人としての信頼を失っている。

●不誠実

返信が遅いことで「この返信ひとつとっても不誠実(真剣に向き合わない)で、有事の際も、その他のことに対してもきっとそうなのだろう」と周囲に思わせていることになる。

つまり、"その程度の人" なのだと思わせている。

例え、あらゆることに真剣に取り組み完璧にこなしているとしても、返信が遅いだけで誠実さが感じられないということだ。

 

理由2.仕事ができない

返信が遅い人間は仕事ができないというのは非常に有名な事実だ。なぜ仕事ができないと言われるのか。

●仕事が進まない

仕事というのは人と人で成り立っていることだ。承認を得なければならないこと、確認を取りたいこと等あるが、それらに対し返信の遅いせいで仕事は進まないため、仕事ができないのは当たり前のことである。

会社に所属していれば仕事ができなくて困った人ということになる。

社内でも取引先でも顧客にも仕事ができない人/困った人というレッテルを貼られる。

●信頼されない

どこに返信が遅い企業と取引したいと思う企業がいるだろうか。どこに返信が遅い会社の顧客になりたいと思う人がいるだろうか。

言ったことに対してすぐに行動を起こしてくれたり、何かあればすぐに伝えてくれる企業と関わりたいと思うだろう。

仕事において返信が遅いことは投げやりなことに他ならない。やはり不誠実ということだ。

 

理由2.許されているわけではない

これまで私は「返信が遅くても許してくれるだろう」という甘い考えを持っていた。しかし、返信が遅い人間とやりとりしている相手は許しているわけではないと考える。

 

主に下記のどれかだと推測する。

 ⑴ 呆れている

 ⑵どうでも良いと思われている

 ⑶ 相手も返信が遅い人間

 

理由3.期待されていない

「あなたの返信が遅くても全く気にしません!」と本心から言う人は⑵どうでも良いと思われている⑶相手も返信が遅い人間のどちらかに該当する人だと考える。⑶については後述する。

なぜならば "話したい人" の返信が遅くて気にしない訳がないからである。

返信が来るなら何でも良いなんてことは、憧れの存在や過酷な地に行った相手くらいのもので、ただの知人の返信が遅いときに「あなたの返信が来るだけで良いんです!」とはならない。

友人であれば大抵話したくて連絡をしているわけだから返信が遅ければ話したいという欲求が満たされない。

つまり、返信が遅いとわかっているのに連絡を取る酔狂な人は返信が来なくてもいいやくらいの気持ちでいるということだ。

「返信が来ても来なくてもどっちでもいいや」と、その程度の存在だと思われている。

⑴呆れているのか、⑵どうでもいい存在なのかはさておき、とにかく返信が遅い人間と連絡をとる相手は返信が遅い人間に期待をしていないことに他ならない。

 

 

理由4.人が離れていく

現実、私の仲の良い友人は⑶の返信が遅い人間がかなりの割合を占めている。

その理由として自分と同じように返信が遅い人間に対しては罪悪感がなく連絡しやすいため仲が良いということもある。

もうひとつの理由は重大で、返信の遅さに失望されて、だんだん相手にとってどうでもいい存在となり周囲の人が離れていっている状態だからだ。

不誠実な人と親しい付き合いを続けたいと思うのは同族と、酔狂な人間くらいである。

 

理由5.低い評価を受けている

酔狂で返信が遅くない友人たちは、返信の遅い私に呆れかえっている。

彼らに返信をすれば「生きてたんだ」と言われる。

お決まりのように「生きてる生きてるー!」なんて返していたが、どう考えても低い評価を受けている。

付き合いを続けてくれてはいるが「あいつはほんとダメなやつだな〜」と心の中で思っていることは言わずもがな。直接伝えてくる友人もいる。

そしてその評価は全く間違いではない。

後述するが、返信が遅い人間は低い評価を受けて当然の人間である。

 

理由6.自己評価も低い

返信が遅いこと=良いこと だと思っている人はいないだろう。

返信が遅い人間も、口では何と言っていても本当は良くないことだと知っている。知った上で開き直っている。

完全に開き直れるタイプと多少なりとも罪悪感を感じているタイプがいるだろう。前者なら本項は関係ないが、多くの人は罪悪感を感じているタイプだろう。

この罪悪感という部分が自己評価や自己肯定感という人生のテーマに大きく関わっている。

●自己評価が下がるサイクル

罪悪感を感じて「良くないと思いながらこんなことをしているなんてダメな人間だ…」という思考になるとする。

罪悪感を感じる行為を繰り返すと、随所でこの「自分はダメな人間だ」思考が出てきて自己評価を下げ、自己否定してしまう。

もう少し噛み砕くと、まず、日常的に返信が遅いことにより「返信が遅い私」というダメな自分が常に頭をついて回る。「私は返信が遅いダメな人間なんだ」と無意識に思っているということ。

他にも「よく遅刻をする私」だとか「洗濯物をためる私」だとか「歩きスマホをする私」だとか罪悪感を感じている、様々な全てのダメな自分が頭をついて回っている。

そしてダメな自分がいる分だけ無意識のうちで自分の評価が下がっていく。「どうせ私は(返信が遅いし、遅刻もするし、洗濯物もためるし、歩きスマホもするし)ダメな人間だから…」となる。

極端な例を言えば、「人を殺めたことのある私なんて幸せになってはいけません…」と近しいことが脳内で起こっている。

 

大罪

ここまでは私が考える、損をする理由を説明してきた。これより私の思いをまとめてみる。

何がきっかけか忘れたが一念発起し、見たら返信することを心がけるようになった。まだ10割ではないが7,8割は叶えられている。(←2022年6月時点。2023年1月現在は9割になった。シンプルド忘れがよくあるので10割は難しいがなるべく近づけたい。)

そして気がついたのは、返信が遅いことはかなりの大罪ということ。

返信が遅かった時は相手の返信が遅いことに悲しい気持ちになっても「自分も遅いし人のこと言えないな」と考えて不満を飲み込んでいた。

しかし返信が早くなった今となっては、まず返信がこないことで私はこの人にとってどうでもいい存在なのだなと感じる。もしくは遅くとも許されると高を括って舐めているのだなと感じる。つまるところ私のことを蔑ろにしている(軽んじている)ことに他ならない。なんと腹立たしく悲しいことか。

逆に言えば、これまでの私はやり取りをしたことのある人全てを蔑ろにしていたことになる。「そんなことない」と自己を正当化したいのが人間であるが、私はそれをしない。実際のところ私は大した自覚もなく「許されるだろう」と周囲の人間を軽視していたのだ。本当に申し訳なくて、そんな人間だったことが恥ずかしくて消えてしまいたい。失った信頼を取り戻すのは難しい。

 

そして、全員を蔑ろにしてきた私の周りには私を蔑ろにする人ばかりという状態になっている。まさに因果応報で、"人は鏡"が服を着て歩いているようだ。

もし、周囲から大切にされたいと思うならばまず自分が周囲を大切に扱うという話である。

 

最悪のパターン

一番悪質なのはLINE等の未読無視である。既読がついていればまだ良い方だ。

既読をつけていないから返事の遅い言い訳がいくらでもきくと思って、読んでいたりわかっている癖に返事をしない。死ぬほど狡い人間だ。かくいう私も数えきれないほどやっていたわけだが。

既読無視をしたくないけど返事ができないなら「今考えられないから後で返す!」と送るだけで済む。これを送るだけで誰も怒らないのに見なかったことにすることで誰かを怒らせている。

最も嫌になるのは予定を決めている最中や何かが差し迫って返答を求めている最中に未読無視をされることだ。最近の私は差し迫った予定を決めている最中に未読無視をされると(他のSNSで発見したり見ていない時間が明らかに長すぎたりすると)その予定をなかったことにして行かないようにしている。私を蔑ろにする相手との予定に行く価値を感じないからだ。

ちなみに雑談をしていて話が終わりだという意味での既読無視は全く構わない。

 

逆ギレ御免

返信が遅いことにおいては100%の割合で返信の遅い人間が悪い。100%悪い人に対して甘く接する理由はないので、返信の遅い友人にマイナス感情を抱かれて縁を切られても喧嘩になっても全く構わない。

そんな友人はこれからの私の人生には不要である。

私は返信が遅い人間を、遅かった過去の自分を適切に批判したい。

犯した罪は消えないので私は大罪人で全く構わない。これから同じ罪を犯さないように努めるだけである。

 

返信の遅い友人へ

いるかもしれないドキッとしている私の友人たちに伝えたいことは、本記事が「返信が遅いのを治してください」の意味ではないことだ。

たしかに返信が早くなるのは、それはもうありがたい限りだが、そこが真意ではない。

「返信が遅いと人生めちゃくちゃ損してるし、自分の価値を下げてるから治すのがおすすめ」くらいの気持ちである。つまり好きな本をおすすめするように返信を早くすることをおすすめした、ということだ。

 

「返信が遅いのどうにかしてよ」なんて文句は恋人と取引先くらいにしか言う気はない。

人はそう簡単に変わらないので改善させようとするだけ労力と期待の無駄だと思っているし、その人のやりたいように生きれば良いと思う。

ただ、蔑ろにされていると感じた私が離れていくだけのことである。

嫌いになることもない。"積極的に関わらないことに決めた友人"という存在に変わるだけだ。

 

これから私は仲の良い友人を失っていくことになるが、自分の価値を下げないためであるが故にこの部分を譲ることはできない。

友人の返信が早くなる時が来たらまた仲良くしようと思っている。

人生を振り返り過去の自分を否定し苦しくなりながら時間をかけて書いた。いわば血で書いたこれを残すことにした。もう犯さないように。

身の上話で気まずい時

 

何気なく質問した後、その答えを聞いて「あまり聞いちゃいけないことだった」と感じて気まずくなることは人生で良くある事だ。

なんて返そうか、どうしよう、と内心慌てる。

この時に一番良くないリアクション

「…ごめんね」

である。

なぜなら相手を傷付けているからだ。

 

実体験を交えて説明したい。

 

私が誰かに質問されて、答えると気まずくなってしまうだろう事実は少なくとも7個ある。これらは私が生まれる前からそうなると決まっていた/既にそうだったものがほとんどだ。

恋人だの友情だのちょっと軽い事も含めれば10個は簡単に超えてしまう。

 

ただ素直に質問に答えているだけなのに、当事者からしたら謎すぎる「ごめんね」「なんかごめんね」を物心ついた時から聞いて育った。

なぜ謝られてるのかが幼い私にはまるで意味不明だったが、憐れまれているのだと気がついたのは小学生の頃である。

私にとってはその事実が当たり前のことだったが、他人からすれば可哀想と思われるようなことなのだと気がついた。

 

可哀想に思われることだと知ってから、似たような状況でも謝られると思う。「私は不幸なのか?」と。「他人から見れば可哀想なんだ」と。

私にとっては当たり前の事実で、防ぎようのなかった事実で、どうにかできるわけではない。

そもそも今生きている以外の他の人生を知らないのだから。

でも他人から見れば可哀想な人に映っている。

 

つまり、可哀想と思われることが一番可哀想なことであるし、当事者の「自分は可哀想な人なんだ」という気持ちを増幅させることとなる。

 

そこで、私が思う「あまり聞いちゃいけないことだった」と感じた時の最適解はこれだ。

「そうなんだ〜」

決して悲しそうに言ってはいけない。笑ってもいけない。

可能であれば平然と、さもどうでもいいことを聞いたのかのように。

もし驚きの内容であれば、「えっそうなんだ〜!」と驚きをそのままに食い気味に行くのがポイントだ。あくまでも、あなたの身に大変なことがあったんだ!という事実にのみただ驚く。驚き以外の感情を混ぜないようにして。

 

つまり次のようになる。

「恋人はいません」

「そうなんだ〜!」

「旦那と死別しました」

「えっ、そうなんだ〜!」

「両親の顔を知りません」

「あーそうなんだ〜」

「中卒なんです」

「そうだったんだ〜」

「1000万借金があってさ」

「へ〜そうなんだ〜」

 

「軽すぎないか?」「気を遣わなさすぎではないか?」と、そう思うかもしれないが、これくらいがむしろベストであると思う。

「まぁそんなこともあるよね」といった態度が大切だ。

"大事に捉えられない"ということは、他人からは想像できないほど当事者の心理的負担が少ない。この人なら正直に打ち明けても良いかなとも思える。

 

相手がいかにも大変そうな表情で答えた場合は「大変だね」と労りを付け加えても良い。※これについては後述する

 

そしてもし言えそうな状況であれば付け加えて

「きっと大変なこともたくさんあっただろうけど良く頑張ったんだね」

と、こんな風に言ってもらえたらちょっと泣けてしまう。

「どうして周りは違うのに私だけはこうなの…」と不毛にも周りと比べてしまい泣いた日を始めとした辛かった日々を思い出してしまう。

 

本人から話し始めた訳でなければ、その事実についてのリアクションや突っ込みは求めていないことがほとんどなので、「そうなんだ〜。そういえば〇〇って…」などと急ハンドルを切ってもらって全く構わない。むしろありがたい。

話したそうにしていたら聞いてあげれば良いし、そうでないならその人にとっての当たり前なのだと受け入れれば良い。

 

ここまで書いたがこれらのことは可哀想な自分に酔っている"悲劇のヒロインタイプ"には全く関係がないので注意して欲しい。

彼ら彼女らは可哀想に思われたくて仕方がないし、むしろ「大変だね〜辛かったね〜」と言われたいのだ。

見極めが必要である。

質問に答えた時にたくさん語り出したら悲劇のヒロインタイプである可能性が高いのでひたすら話を聞き可哀想ヨイショをしてあげれば満足する。

「〇〇なんだよね😅」などと負の表情を混ぜつつ簡潔に答えたら悲劇のヒロインタイプではない可能性が高いので「そうなんだ〜大変だったね」と軽く労ってあげると良い。

平然と答えたなら悲劇のヒロインタイプではない可能性が高く、大変ではなかった可能性も大いにあるので「大変だったね」は言わなくても良い。「そうなんだ〜」と平然と返すのが最適解である。

 

蛇足

先述の通り、私は気まずくなる回答をたくさん持っているのでその状況を避けるようにしている。

具体的には、大抵の場合はやはり「嫌なこと聞いてごめん」ムードになるので相手がリアクションで気を遣わないように、事実を言わない『逆気遣い』をしている。

『逆気遣い』を続けるおかげでいつしか気を遣わせるような事実は私の秘密になってしまった。

隠しているわけではないのだが、言ったら気を遣わせるし、相手の反応により傷つくから言いたくないのだ。

可哀想だとは思われたくない。

同じ境遇の人だったりかなり言いやすい状況だったりすれば言うが、それ以外で言うことはあまりない。

嘘は言わないが本当のことも言わない。これは信頼している相手かどうかは関係ない。

蛇足終わり

 

是非「そうなんだ〜」を使ってもらいたい。